足元の砂利が強い流れによって崩れていく。
今まで踏んでいたかかと付近の砂利が見る間に取られていく。
引き返そうと踏ん張るほどに足元はどんどん崩れていく。
流れはもう腹の上まで来て戻れない。
不意に強烈な不安感が押し寄せた。
"このままじゃ、ダメだ!"
しかし流れは弱まることなく、足場の崩れた身体は深みに引きずり込まれていく。
ついに胸まで引きずり込まれた。
"ワァッー!!助けて!"流された。泡の中にいた。
次の瞬間、誰かに腕を掴まれたまま流れ、淵の杭に辿り着いた。
助かった。背中を叩かれながらたっぷり飲んだ水を吐いた。
兄貴の顔がそこにあった。"あぶねぇかったな"と。
まだ泳ぎも出来ない夏の日の出来事である。
「瀬」と呼ばれ、上流の方の深みは膝下ぐらいしかないものの下流は急に流れが強くなり、青々とした深い淵が待ち受けていた。
危ないとこだった。
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夏は、下の本庄川が夏期講習の学び舎だった。
「はみきり」(牛の餌切り道具)で切った甘きびを5,6本手ぬぐいに巻いて近所の友達を誘って日参した。
"○○ちゃん、水あべに行くよっ!"と。
年長者に見守られ泳ぎを覚え、そして年を経るにつれ年少者の面倒を見た。 |
もうカッパに負けぬぐらいに泳げるようになり、果てはあの当時高さが10mぐらいある本庄橋の欄干からも飛び込んだ。
今はコンクリート橋になっているが当時は木橋で、それも中学生の頃だったか大水で流された。
小さい頃の水着は、ふりちんだったが、やがてあの黒い三角巾の簡易ふんどし「きんつり」となった。
唇が紫色になるまで川に入り、上がると灼けた石の上に腹ばいになった。
するとませた年長者が教えてくれた。
灼けた小石を「きんつり」に当てると得も言われぬ快感に襲われた。
丁度、目覚めるころ?だったのか。 |

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中学校下の「立岩」も絶好の泳ぎ場であり、深い淵がありその下流ではうなぎが捕れた。
粘土質の穴蔵に両方から手を挿し込みその指先にあのヌルっとした感触に触れた瞬間の興奮はまだあるなぁ。
生死の境を越えようとした本庄川、帰省するたびにその本庄橋を渡りながらあのころを思い出す。
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左手に本庄高校の下にある我が家が見えた。間もなく到着である。
(「日本一」で予告された記事のその1です。) |